このコーナーでは、医療を少し離れて、自分自身のことや身の周りの出来事についてお話ししようと思います。第3回目、今回のテーマは「私の得意なこと」です。

 そんなに沢山得意なことがあるわけではないのですが、ひとつだけ得意なことがあります。 それは、引越しの荷造りです。私の父は転勤族だったので、小さい頃からたくさん引越しをしました。結婚するまでにした引越しの回数は数えてみると13回で した。結婚するときに1回、結婚後は海外も含めて3回です。2、3年ごとに全国各地へ引越ししていました。essay03-1

 引越しは今でこそ、いろんなサービスがあり、当事者は何もしなくても新居で生活できるよ うですが、昔はちょっと事情が違いました。自分たちで荷造りをしなくてはならなかったのです。母はそういうことが余り得意ではなくて、箱に隙間があるとよ その部屋からも、ものを詰めてしまいます。実はこれはご法度です。小学校3年生の引越しの時に、そのことに気づきました。あいたところはあけておく。そうすると新居で開封した時に、だいたい元のように収めることができます。こんな法則を見つけた私は、引越しの 荷造りに夢中になっていきました。運送屋さんのお兄さんからもいろいろと学びました。お皿は横に積まないこと、カップは横からの力に弱く割れてしまうそう です。引き出しは大きな袋か、箱にまとめて入れておくと、開封した時に同じように戻せる、本棚の本は右からとか、左からとか法則を決めて順番に詰めてお く、などなど・・・・

 私の母が、一番心に残っているという運送屋さんのお話をします。それはいつものように真 夏の引越しでした。母は3さいと1さいの子供を抱えて、引越しの準備もままならず、いらいらしていたようです。下見に来た運送屋さんは、アドバイスとし て、「奥さん、おもちゃはぼくたちがやるので、最後まで残しておいて下さい」と、言われたそうです。おかげで私と妹は手になじんだ自分のおもちゃで最後ま で遊ぶことができました。そして引越し当日、新居に入って一番最初に開けてくれたのは、最後にトラックに積んだ私たちのおもちゃでした。破れた折り紙や割 れた風船まで入っていたと母は感激していました。見知らぬ土地、見知らぬ家で不安そうにしていた私たち姉妹の表情はパッと明るくなって落ち着いたそうで す。その運送屋さんにお子さんがいたのかどうかは、今では知る縦もありませんが、あのお心遣いには本当に感謝していると、後々まで母は言っていました。

essay03-2 こういう気配りは、どんな場面でも大事だと思います。「のびのび」も小さなこどもたち、大変なお母さんたちに少しでもお役に立てたらといつも思っています。

 引越しの話から脱線しました。日頃の片付けはあまり得意ではありませんが、いざ、引越し となると今でも血が騒ぎます。いつ頃からか、私は荷造りの専門となり、家族は手を付けなくなりました。別に住んでいる妹の引越しにまで、なぜか首を突っ込 む姉さんです。医者になっていなかったら、運送屋さんという道もあったんだなぁと、近頃細やかな運送会社のサービスを見て思うのです。 (2004.9.9)